「じゃあ、明日ね」
遊戯の言葉に獏良はいつもの笑みで頷いた。
学校から帰宅すると、獏良は制服を脱ぎ始めた。
シャツのボタンに手を掛けたところで、固い感触が布越しに伝わる。
それを大して気にせずにボタンを外し、ハンガーにかける。
千年リングの紐を握ると頭の中に直接声が響いた。
『取るな』
無視して紐を握った手を上げると、ピンとリングの針の先が何本か腹に当たる感触がした。
『取るんじゃねーって言ってんのが聞こえねぇのか?宿主』
軽く息をつき、獏良がゆっくりと腕を下げると針も元通り垂れた。
椅子に掛けてあった半袖のシャツを着込んで、リングを外側に出す。
どうせ、家なら誰かが見る可能性も無いのだから。
しばらくテレビをつけながら本を読んでいた獏良は、七時を過ぎた時計を見て台所に向かう。
冷蔵庫からキュウリを出して細く切る。
『何も言わないんだな』
再び、声がした。
「話すことなんて特にないじゃないか」
手は休めず独り言のように呟く。
『違う、あいつらに言わないんだな。お友達なんだろ?』
「友達だよ」
『なら何故隠すんだ?言えば、あのお節介達はまた助けてくれるだろ』
「何から何を?」
『俺からおまえを』
獏良はけたけたと笑いながら首を振る。
「何で?」
温めたハンバーグと野菜スティックを無言で食べている獏良に、
リングはもう一度話しかけた。
『おまえ、あの時俺を倒すつもりじゃなかったのか?』
あの時、とはここに引っ越してきたとき遊戯たちとやったTRPGのことだ。
獏良は食べる手を止めて、考えるように上を見上げた。
「倒すつもりだったよ。実際倒した」
『俺はまだここにいる』
声が笑っているように聞こえる。否、笑っているのだろう。
「あの時、自分の身体を勝手に使われるのに嫌悪感を覚えた。支配に抵抗した」
だけどね、と獏良は付け足す。
「共生なら許してあげる」
リングがあっけに取られて黙っている。
それとももう会話は終了したのか?
獏良は判断がつかなかったので食事を再開した。
『俺は共生する気なんぞ無い』
リングが冷たい声音で言葉を発する。
だが獏良は全く気にする様子も無く受け流す。
「言っとくけど、君に拒否権はないよ」
『おまえのほうが無いぜ。俺が乗っ取ろうと思えばすぐにでも』
少し雲行きが怪しくなってきた会話に、無機質なチャイムの音が鳴り響いた。
しかも、しつこく、間をおかずに何度も何度も押されている。
「今すぐ、是非とも僕の身体を乗っ取って、アレに出て」
獏良は先ほどと打って変わって焦ったような物言いで頼み込む。
『なんだ?悪戯か??』
「出ればわかる。僕の平和はそのまま君の平和に繋がるんだから、出て」
物凄い剣幕でそう言われ、仕方なくバクラは獏良から身体の支配権を受け取る(押し付けられる)。
もともと短気な性格のバクラは鳴り響くチャイムの音にムカついて、乱暴に扉を開けた。
ばさっと、一面真っ赤。
扉を開けた瞬間、赤い色が広がりバクラは一瞬状況が把握できなかった。
よくよく見てみると、それは薔薇の花であることがわかった。
「な、何でこんなものが・・・」
「おまえへの贈り物だ、獏良」
機械のようにぎこちなく顔を上げると、男と目が合った。
誰だったかなー・・・・あー、そう、社長だ!
社長・・・・・・・か、甲斐田?違う、か、かー海部・・あ、海馬だ、ったよな?
「か、海馬くん?これどうしたの??」
「覚えていたか獏良。やはりこれは運命なのかもしれん」
あのー、こいつ頭大丈夫ですか?
運命って、名前覚えてたぐらいで運命って・・!!
「で、これは何?」
「薔薇だ。おまえのために用意してきた」
「何で?」
「・・・いや、獏良に似合いそうだったからな。ほら」
そう言って一本の薔薇を獏良の頭につける海馬。
仕草一つ一つは丁寧で、洗練されたものと言ってもいいが、相手は所詮バクラだ。
「気色悪ぃんだよ!!!ってかやめろや!!!!」
バシッと乱暴に頭の花を叩きつけるバクラに海馬は顔をゆがめた。
「獏良・・・大丈夫か?ん、それは・・遊戯のオカルトグッズに似ている・・・・そのせいだな!!」
胸に掛けられたリングを取ろうと手を伸ばす海馬を必死で止めるバクラ。
大体、確かに、今の俺はリングの意思だが、絶対あの宿主だって嫌がってるぞ!!
だから、いつも嫌がってるのにすぐさま人格交代を申し出たんじゃなぇか!!!
心の中で毒づいていたバクラだが、ふと、気づく。
そうだ、何でこいつと宿主の関係に首を突っ込まなきゃいけないんだ?
こいつが宿主に迫ろうが何しようが、関係ないじゃないか。
いや、むしろあの喰えない宿主を困らせる存在は大歓迎。
バクラは抵抗しながらも、心の扉に意識を飛ばした。
「宿主―、出て来いよー!」
宿主の心の扉は、鍵がかかっていた。
ドンドン、と何度かノックしてみたが出てくる気配は無い。
「・・・俺をなめんなよ?」
にやっと笑い、首に掛けた千年リングを扉にかざす。
簡単なもので、扉は自動的に開き始めた。
「さー、宿主!さっさと表に出やがれ!!」
中に一歩入った瞬間、凄まじい殺気を感じて踏み入れた足を引いた。
直感は当たり、振り子の大きな刃のような物が横から猛スピードで通った。
「や、宿主?」
心の部屋にこんな恐ろしい仕掛けがしてあるのは、こいつが初めてだった。
一体どんな精神構造してやがんだ。
バクラは毒づきながら、定期的に通る刃を掻い潜り中に進む。
・・・それから様々な、本当に様々なトラップをクリアすると置くにぽつんと白い扉があった。
バクラは警戒しながら、ドアノブを自分が羽織っていたパーカーで包む。
何も起こらないことをじっくり確認してから手で握って、
それでも警戒しながらゆっくりと開けると獏良が寝転がりながら雑誌を読んでいた。
「あれ、もう海馬君帰ったの?」
無邪気ともとれる顔で聞いてくる獏良に今までの疲れが押し寄せる。
「無理だ。おまえ表出て相手してやれよ」
「嫌。あー、言っとくけどね。面倒だからて僕出すつもりならやめときなよ?
そんなこと実行したら海馬君に頼んでそのリング葬ってもらうから」
「できるわけねーだろ」
「できる。あの世界の海馬コーポレーションが頑張れば。
爆発実験するとき側に置いてみるとか。・・そういうことされたことないだろ?」
当たり前だ。
バクラはその言葉を聞いて、ため息をつく。
大丈夫な気はするが、できれば危ういことは避けたい。
仕方なく海馬を何とかすることにした。
「ともかく帰れよ、この馬鹿社長!!!」
「何だとこの」
海馬の台詞が言い終わる前に外に蹴りだす。
急いで扉を閉め、鍵とチェーンを掛ける。
「この、開けろ!!!」
扉を乱暴に叩く音がする。
バクラは、自分ができうる限りの精一杯の獏良の口調を真似た。
「あの、ごめんね海馬君?今日は、ちょっと・・・色々あって。
でも薔薇の花はありがとう!すっごい嬉しかった。また、学校で会おうね。御礼もしたいしさ」
甘ったるい声で言うと、ドア越しというのもあるせいか、一応海馬は信じた。
「む、そうか・・。では明後日また会おう。調子が悪いなら早めに寝るんだぞ?
オカルトグッズのことも、後々対策を立てないといけないだろうしな」
余計なお世話だ阿呆。
バクラは「そうだね、お休み」といらいらを押し殺して言いながら玄関を離れた。
「わかっただろ?僕はいつも日常的に身の危険に襲われているんだ」
わかったようなわからんような。
「君が海馬君に対抗してくれるなら、ある程度この身体を貸す。
これは交換条件だよ」
「俺には拒否権がある。第一、おまえがどうなろうと知ったこっちゃ無い」
「君が何もしないなら、僕は海馬君と頑張って千年リングと千年眼を破棄するよ」
「・・・はい?」
「気づかないと思ってた?押入れに隠してある千年眼に。・・・さあ、どうするの?」
宿主ってこんな怖い顔する人でしたっけ?
あんまり真剣なのでバクラもつい顔を引き締める。
よくよく考えてみると、結構自分も不利だ。
獏良の演技をしながら身体を使い続けることも可能だが、それはあまりに負担が大きい。
あの馬鹿社長を相手にするだけでも絶対疲れる。
「・・・・・・・わかった」
「交渉成立」
にこっと笑った獏良の顔は、こんな状況にいなければ天使のようなものだっただろう。
「ってわけで、さっさと僕の部屋から出てってよ」
「またあのトラップを抜けていくのか・・・・」
「・・・・何、もしかしてあれを一つ一つ潜って来たの?」
きょとんとした顔でこちらを見る獏良。
「・・どういう意味だ?」
「罠解除の隠しスイッチあったのに・・千年リングも万能じゃないんだ・・」
皮肉でもなんでもなく、驚いたような様子の獏良。
むしろこちらの方が、精神的ダメージを受ける。
バクラは肩を落として、無言で部屋を出て行った。