ナルトの家には、よくシカマルが遊びに来る。
遊びに、というよりは、人目につきたくないものを扱うときに、
都合よく利用しているといった観が強いのだけれど。
ナルトも、特に気にしない。





今日もシカマルがやって来た。
何でも、最近手に入れた谷の里の学者の論文らしい。
数学が殆どを占める術式とすら言えない巻物をするりするりと開いていく。
新しい術には興味はあるが、こんな数字だけの羅列は見る気がおきない。
テーブルの反対に席に就き、ラーメンを啜る。
一楽のおっちゃん程ではないが、なかなか美味いと評判の店の出前だ。
食欲を刺激する素晴らしい香りにも、シカマルはちらりとも顔を上げない。

濃厚な鶏がらスープ、コシのある歯ごたえ抜群の麺、
店の名物である厚めのチャーシューは柔らかく、
それぞれが全体として見事に調和する味わいを出す。
しかも、これらの素材は、他のメンマやネギ、卵を含めて
全てその日の朝に仕入れた新鮮なものを使っている。
(スープは多分、違うのだろうけど)
勿論、素材が良いからうまいというわけじゃあない。
おやっさんが長年、辛苦に辛苦を重ね、何度も失敗を積んだ上に探し当てたハーモニーだ。
ああ、これほど人の努力が旨味となって現れる料理があるだろうか?いや無い!

こんな人類の至高の発見ともいうべきラーメンに見向きもしないシカマルに、
俺はちょびっとだけ苛立ちを感じた。
こいつは、ラーメンだけじゃなく、料理というものに全くの理解を示さない。
先人の芸術とも言えるべき知恵を栄養学やら化学やらでしか見れない。
なんて勿体無い、人生を損している奴なんだろう。

………なんか、可哀相な奴。









今日もナルトの家にやって来た。
俺が巻物を広げている中、出前のラーメンを幸せそうに食っている。
巻物は、近代の数学者の中でも最高峰と呼ばれる、谷の里の学者の論文だ。
史上最悪の難問とされた定理の証明が綴られた巻物なのだが、
少し読んでみただけでもわかる。これは、完璧な証明だ。しかも、解き方が面白い。
通常ではまず考えられない視点から論証に踏み切った意外性、
けれど、決して筋道を外さない的確な、過不足のない論法、
長いこと学術論文を読み漁ってきたが、ここまで美しく完成されたものを読むのは久々だ。
柄にもなく己の頭脳と地位をフルに活用して手に入れただけの価値がある。いや、それ以上。

そんな俺の感動など露知らず、ナルトはずるずるとラーメンを食っていた。
こいつは、俺とタメを張るぐらいには優秀な頭脳を持っているのだから、
この巻物の内容を理解することは容易いだろう。
が、如何せんその論理の美しさまでは理解しない。いや、理解しようとしない。
こいつにとって数式は、方程式は、あくまで買い物や勉強、忍術に使うツールでしかない。
この人類の至高の智恵の芸術性に気づかないとは、勿体無いというか、

………なんか、可哀相な奴。













「「………なあ」」


テーブルを挟んで向かい合わせに座っていた二人は、
同じタイミングで視線を合わせ、これまた同じタイミングで似たような言葉を吐いた。


「ラーメン、ちょっと食べる?」
「巻物、ちょっと呼んで見るか?」





071027


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