「あ、ポピー君? エガオン緊急出動要請。
場所はうらら学園向かいの四階建てアパート。火事の規模が大きいんだ。
子供が上に取り残されたらしいから、テレポートでの救助手伝いをお願い」
腕輪から発信される市松のメッセージに、少しだけ眉を寄せる。
人の命のかかっている緊急要請だ。別に休日出勤が嫌なわけではない。
ただ、弟の顔が、少しだけ頭を過ぎった。
今日はなるとの誕生日。
プレゼントはもう用意してあるし、なるとも、家で待っているはずだ。
仕事で遅れると、連絡を入れておいたほうがいいだろうか。
ポケットの携帯電話に手を伸ばしかけたところで、やめた。
火事は一刻を争っているのだ。
有休の事情を知っている市松か平八あたりが家に連絡しているだろう。
ならばと、急いでテレポートで現場に向かおうと意識を集中させていると、
誰かが「待って」と叫びながら、タックルと変わりない勢いで腰に抱きつかれた。
背後からの思わぬ圧力にバランスを崩すが、何歩かよろめくだけで、ぎりぎり保った。
かろうじて視界に入るのは腰に回された腕だけだが、
この近距離なら、背後の人物が誰なのか見当がつく。
「なると、どうしたんだ? 家で待ってるんじゃなかったのか」
名を呼ばれ、ぴくりと腕が緩まる。
その隙に腕を引き剥がし、弟と向き合えるように振り向いた。
荒い呼吸で肩を上下させている。テレポートだけでは足りなくて、走ってきたのか?
家で何か事故が起こったのかと、新たな別問題に頭が痛くなる。
けれど弟は、俺の心を読んでその考えを否定する。
「……っ、はぁ。兄貴、い……っないで」
「なると?」
なるとは、ぽろぽろと涙を零して俺の腕にしがみついた。
呼吸もままならない上に泣かれては、どうにも聞き取りづらい。
仕方なく超能力で弟の思考を読む。
『行かないで! 行かないで!! 行かないで! 子供なんて助けないで!!!』
あまりに強い思考のせいで、読み取った自分までくらくらと眩暈が襲った。
とりあえず、なるとがこの腕を離そうとしない執念は理解できた。
だが、弟が火事のことを知っているらしいこと、
それをあえて阻むような理由がさっぱり思いつかない。
時計をちらりと見る。
電話を受けてから三分は経っているはずだ。時は一刻を争う。
けれどいくらまだ力の弱い子供でも、超能力者である以上、
弟が本気で阻まれれば振り解くのに時間がかかるのだ。
「なると、話は後で聞く。今はどいてくれ」
「だめ! 兄貴、俺、軽蔑されても恨まれもいい!だから行かないで!!」
意志を貫こうとする頑固な眼。
本気で、俺に嫌われてでも止める気だ。
……往来であまり派手なことをするわけにもいかないから、困る。
更に強く締めつけられた腕を解こうとして、なるとの手を掴む。
そのとき初めて気づいた。左手首につけられた新品の腕時計。
淡い緑色の、アナログ式の腕時計。
子供の手首は細すぎて、別途注文。ついでになるとのイニシャルを彫ってもらった。
よく知ってる。だって、それは。
無意識に胸ポケットを触る。
かさりと、薄い箱の感触がした。重みもある。
そうだ、まだ、ここにある。
なるとの手首を見る。
けど、こちらにも、ある。
すっと背筋が冷える。
頭が理解するよりも先に、体が理解した。
「…………むかし」
弟を引き剥がすのをやめて、その柔らかな髪を撫でる。
「過去のセラヴィにクリスマスの思い出を作ろうとして、
鏡を使って、過去に戻ったことがあるんだ。話したこと、あったか?」
「……リーヤに聞いた」
「そうか。でも、ここに来たのは、無断だろう」
「まりんとアメデオが協力してくれた」
もっと話を聞きたいと思った。尋ねたいことは山ほどある。
けれど時間は、限りなく少ないのだ。
「最後に、一つ聞いていいか」
「……うん」
もう弟は泣いてはいなかった。
こちらの心を読んでいるのか、諦めの表情が、僅かに浮かんでいた。
「子供は、助かったのか?」
「…………………………………死んではいない」
なるとは、自分にだけは決して嘘も誤魔化しもしない。
その間接的な肯定が、愛らしくて、痛ましくて、つきりと罪悪感が胸に刺さった。
本当にこれが、最後なのだ。
「行くよ。俺は、正義の味方なんだから」
何年もやっているけれど、やっぱり自分で言うのは恥ずかしい。
そう思いながらも、俺はエガオンがやるような心いっぱいの微笑みを、弟に見せた。
良い兄貴にはなれなかったのだから、せめて、正義の味方ぐらい、かっこをつけたかった。
涙がぽろりと頬を伝った。
ああ、やっぱりこっちもかっこがつかなかったけど。
書いてておそろしく楽しかった。
鏡の話はうろおぼえ。文庫本買うべきか……
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